これぞ日本の橋

錦帯橋や猿橋などの日本三奇橋や日本三名橋、また通潤橋など日本にある有名な橋からちょっとした吊橋など実際に旅行に行ったところを紹介しています。

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はりまや橋(高知市)

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写真紹介

2011/8/6(土)

曇り

日本百名橋の一つ
はりまや橋

「はりまや橋」(播摩屋橋)は、高知市はりまや町にある橋で、よさこい節や純信とお馬の恋物語で知られている。
現在ははりまや橋の下には川は流れていない。もともとは堀川が流れていたが戦後に埋め立てられ、今は「はりまや橋公園 地下広場」がある。公園の一部として堀川も再現されている。

今この場所には、道路として使用されている「自然石を使用した欄干をもつ橋」と、昔のはりまや橋を再現した「朱塗りの欄干の太鼓橋」と「鋳鉄製の橋」の合計3つのはりまや橋がある。

私設の橋だった?

江戸時代初期(長宗我部(ちょうそかべ)時代)に土佐に来て優遇されていた旧家の「播磨屋」(はりまや)と「櫃屋」(ひつや)が、堀川を挟んで商売を行う上で、両者の往来のために架けた橋が「はりまや橋」の始まりと言われている。

私設の橋だったが橋を利用する人の従来が多くなり、それに伴い城下町も発展し、明治41年(1908年)に鋳鉄製の欄干の橋に架け替えられる。

最初のはりまや橋?   鋳鉄製の欄干のはりまや橋   鋳鉄製の欄干のはりまや橋(再現)
石造りの橋へ

その後、高知駅の開業、電車の開通などによる道路整備や戦災復興により、昭和25年(1950年)に石造りの欄干の橋となる。さらに昭和33年(1958年)の南国高知総合大博覧会の時に、歩道と車道の境に朱塗りの欄干が設置される。

昔の石造りのはりまや橋   石造りのはりまや橋   石造りのはりまや橋
はりまや橋のイメージ

平成9年(1997年)の再整備事業に伴い朱塗りの欄干が撤去され、石造りの欄干が設置された。これが現在の橋である。このとき撤去された朱塗りの欄干は、「はりまや橋公園 地下広場」に展示されている。

現在のはりやま橋の横にある朱塗りの欄干の太鼓橋は、平成10年のはりまや橋公園の改修にあわせ江戸時代のはりまや橋を再現した橋である。
映画やテレビなどに映し出される橋がこの橋なので、はりまや橋といえばこの朱塗りの太鼓橋をイメージするが、この橋は680件にもおよぶ全国から寄せられた「昔のはりまや橋のイメージ」を基に再現されているらしく、実際にこのデザインだったわけではないよう。どちらかというと、上記の昔の絵にあるような簡素な木造りの橋だったらしい。

朱塗りの欄干の太鼓橋のはりまや橋(イメージ再現)   朱塗りの欄干の太鼓橋のはりまや橋(イメージ再現)   朱塗りの欄干の太鼓橋のはりまや橋(イメージ再現)
純信とお馬の非恋
純信とお馬のモニュメント

はりまや橋は、「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい」とよさこい節のフレーズにもなり、純信とお馬のモニュメントも設置されている。
ちなみに、このモニュメントのデザインは、高知県出身の漫画家である横山隆一氏のデザインである。

フレーズにでてくる「坊さん」が「純信」(37歳?)のことで、寺に出入りしていた「お馬」(17歳?)を見染め、はりまや橋の近くでかんざしを買いプレゼントしたところ、このうわさが広まり二人は引き離される。
駆け落ちをするも、琴平で追手に捕まえられ高知に戻される。裁判の結果、純信は国外追放、お馬は安喜川以東へ追放となった。

と言われている。(でも諸説あるみたいです)

はりまや橋の旅行内容「高知の秘境の海洋堂」はこちら

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周辺マップ

住所 高知市はりまや町1丁目 (大きな地図で見る別ウィンドウで開く

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交通アクセス

はりまや駅
最寄駅 JR四国 土讃線 高知駅
土佐電気鉄道  はりまや駅 (はりまや駅の詳細を見る別ウィンドウで開く
交通手段
  • 徒歩:JR四国 土讃線「高知」駅から約10分。

  • 徒歩:土佐電気鉄道「はりまや」駅から約1分。

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